1.はじめに

大阪維新の会の橋下徹代表と松井一郎幹事長がみんなの党の渡辺喜美代表と今月20日に大阪で会談し、合流を含めた連携方策について話し合ったと報じられている。双方が会談したことを認めているので既に公然の事実であり、会談の内容についても概ね正確に報じられているように思う。

しかし、本当に力のある第三極を樹立していくためにいま大切なことは、みんなの党(と大阪維新の会)がどういう立場で会談に臨み、どういう立場の違いのために交渉が膠着している(決裂した?)のか、について理解し、関係者が「一糸乱れず結束して」(みんなの党・江田憲司幹事長)選挙に臨んでいくことである。

いまのこの政局は、今後五十年・百年にわたって豊かで活力ある日本を構築していくために、とても重要な局面に差し掛かっており、関係者の賢明かつ懸命な対応が求められる。この文章が何かの役に立つとも思えないし、政局について言及することは憚られる面もあるが、まだ立場を得ていない私にできることの一つがこのコラムを通じて私見を提示することと考え、筆を執った次第である。

2.大阪ダブル選では勝手連として支援

みんなの党の渡辺喜美代表は、昨年の大阪ダブル選挙にあたって「勝手連」として大阪維新の会の応援に入り、告示後だけで5回、投開票日も入れれば6回来阪された。大阪の支部長である私もその都度合流し、渡辺代表には松井一郎候補の応援のために私の地元の茨木市などにも入っていただいた。大阪府南部にも足を運んでいただいたが、伊丹空港の扱い等を背景に維新の支持基盤が比較的弱いとされていた大阪北部=北摂を中心に街宣等に走っていただいた。

私の地元・茨木市では、その直後の昨年12月に市議会会派「維新の会・みんなの茨木」が結成され、今年4月の茨木市長選挙にあたっても維新支部とみんな支部が同じ候補を推薦し選対を組み勝利するなど、みんなの党支部と大阪維新の会支部が行動をともにしてきた経緯があるので、渡辺代表の来阪はとても自然なことであった。他方、大阪市内の一部や箕面市では、維新と自民の関係が依然として深く、渡辺代表にも応援を控えていただいた。

それでも、渡辺代表は、「呼ばれてないけど、勝手に来ました!」「勝手連として来ました!」と言って、笑顔で北摂の街々に入って、必死でマイクを握り、松井一郎候補の応援に入られていた。そうした渡辺代表に対しては、党の内外から、維新に擦り寄っている、といった揶揄がなされることもあったが、私は、「覚悟」のある行動であると、むしろ尊敬の念を覚えていた。

渡辺代表が、党内部から批判されてまで国会議員でただ一人大阪ダブル選の応援に入った理由は一つであったと思う。それは、「脱官僚」や「道州制」といった新しい国のかたちを実現していくためには、(政策の柱に道州制を掲げ活動する唯一の)国政政党であるみんなの党の力だけでなく、(大阪都構想(の向こうにある道州制)を掲げて大阪府市の政権奪取に挑戦する)地域政党・大阪維新の会の勝利がどうしても不可欠であることを理解していたからだ。

大阪ダブル選挙に当たって渡辺代表が維新の支援に入ったのは、概ね以上のような考えからであったと思うが、当時の大阪維新の会サイドも、国会議員ではただ一人渡辺代表の応援だけを受け入れて下さり、そしてダブル選に勝利した。渡辺代表の応援が結果に大きく影響したとは思わないが、渡辺代表が応援を控えた箕面市や豊能郡での松井一郎候補の得票率が倉田薫候補の地元・池田市並みに低迷し、大阪府下でもワースト3を独占したという事実は、ここに明らかにしておきたいと思う。

3.合流等に向けた協議が膠着している理由

こうした連携を続けてきたみんなの党と大阪維新の会が、衆院選を間近に控えた今、改めてトップ会談を行い、その連携のあり方について意見交換するのは至極当然のことと思うが、当面の政局についての考えに一定の相違があり、交渉が膠着しているのは、冒頭に述べたとおりである。では、どういった考え方の相違が存在するのか。

私は、政策/政局に関する原理主義度の違いが、いわゆるケミストリーの違いとして影を落としているように感じている。みんなの党は、政策については原理主義的(=教条主義的)であるが政局については現実主義的(=急進的ではない)、一方の大阪維新の会は(勝手に論評する立場にないが)反対に、政策については現実主義的であるが、政局については急進主義的だ。(ここで、「現実主義的でない(=原理主義的)」というのが「現実的でない」という意味でないことは言うまでもない。)

具体的に述べよう。みんなの党は、3年前の結党以来、脱官僚・地域主権・生活重視という3つの理念を掲げ、小さな政府・活力重視・日米同盟基軸の政策群をパッケージとして取りまとめ、累次の具体的な法案として国会に提出してきた経緯がある。例えば、大阪維新の会がセンターピンとして重視する消費税の地方税化についても、当初のマニフェストにおいて既に「消費税は地方の財源に」すると明記し、その政策はその体系や整合性にも十分留意した完成度の高いものであったと思う。但し、その政策の完成度の高さ故に、消費税増税に賛成したり郵政民営化に反対したりした議員は同志でない、といったように、政策については教条主義的に考えるところが否めなかった。

一方、その政局観は、09年に結党した後、1)10年の参院選、2)昨年11年の統一地方選、3)年内12年にも想定される衆院選をホップ・ステップ・ジャンプと表現し、この衆院選の前後で政界再編を引き起こし、みんなの党自体は政界再編の触媒として消えてもいいという、ある意味での達観があったように思う。そして、政権獲得についても、わずか16名の国会議員からなる小所帯であるみんなの党と新人ばかりの維新だけで政府を構成できると考えるはずもなく、政界再編の結果として政権入りすることはあり得ても、実際には、何度かの選挙を経て新しい政治体制が作られていく、というように、現実的に考えていたように思う。

反対に、大阪維新の会の政策は、「維新八策」だけを見ると急進主義的に見えるかもしれないが、その内容についてはこれまでも議論されてきたものばかりであり、決して突飛なものではない。また、大阪府市の政権を実際に担っていることもあり、原発の再稼働に係るハンドリングを例として挙げるまでもなく、現実主義的なところがある。衆院選に当たっても、松井知事が22日の会見で、「(維新八策について)「譲れる範囲がどこまでなのかをフルオープンで議論したい。『これしか駄目だ』と言うと、広がりをつくることができない」と、主要政策以外では柔軟に対応する考えを表明されている。

最後に、大阪維新の会の政局観であるが、同じ会見で松井知事は、「(みんなの党の政策は国会で)広がっていない状況があり、実現できない集団になってしまう。政治は結果責任。決定できる態勢を作れるチームが必要」と指摘し、大阪府市で首長と議会の過半数(大阪市は公明党と連携し過半数)を獲得したのと同じように、国政にあっても、一気に政権獲得にチャレンジすると受け取れる考え方を表明されている。いまは大阪の地域政党でしかない大阪維新の会が大阪主導で国の権力を掌握しようというのだから、それを急進主義的と表現しても差し支えないだろう。

4.あくまでも合流に向けた努力を

私は、昨年の9月8日にみんなの党大阪9区支部の支部長に就任したが、その際、大阪府庁で記者会見を開き自らの抱負を申し述べた。その際、ある記者から「大阪維新の会から出馬する考えはないのか」と問われ、「大阪出身でもあり、そうしたい気持ちもあったが、大阪維新の会はあくまでも地域政党。自分は国政を希望しているので、みんなの党の支部長に就いた」と答えたことを覚えている。そして、渡辺喜美代表にも、(僭越ながら)「政権を目指すのであれば関東だけでなく関西のことを真剣に考えていただきたい。自分はその橋頭堡となるべく頑張りたい。」と申し上げた。

そして、この1年近く、大阪のみんなの党支部長として、また(週刊誌で公表されたように)維新政治塾生として、2つの政治グループの間の橋渡し役として地元で活動してきたつもりである。が、ことここに至って、みんなの党と大阪維新の会の間の折衝が少々混乱しているように思う。その原因には、本稿に述べたようなケミストリーの違いに加え、あらゆる政治グループが本部を置く中央(=東京、関東)と関西との間のねじれもあるだろう。また、「道州制型統治機構研究会」に参加する3人のみんなの党参院議員もいただけない。党首や幹事長があくまでも党対党で協議するといっているその足元で、22日の会合にも参加していたようだ。

二十年以上にわたって混迷を続けてきた日本政治にあって、だからこそ一気に変えてしまう必要があると考えるか、それくらい困難な仕事だからこそ政策については妥協なく、と考えるのか、大阪維新の会とみんなの党との間にあるハードルはわずかである。政策においてはほぼ完全に一致している政治グループであれば、私はあくまでも合流に向けた関係者のご努力に期待したい。大事なことは、1)みんなの党と大阪維新の会それぞれが有するパワーを最大限に発揮できるようにすることであり、2)民主党と自民党の時代に本当の意味で終止符を打って新しい政治と行政の仕組みを作っていくことであり、そして何よりも、3)関西州はじめ多様で活力ある分権型国家を築き、国民の仕事と生活を守っていくことだからだ。