2014-09-12 08.30.57本日、日本維新の会と結いの党の両院議員総会が開催され、9月21日にも結党大会を予定している新党の名称を「維新の党」と決しました。

政党の合併には、党名や綱領、組織ガバナンスなどの調整が必要ですが、「名は体を表す」ともいうように、党名には、議員それぞれに強いこだわりがあったものと存じます。そうした中で、本日、予定通り両院議員総会での投票を経て、「維新の党」と決まったことは、政策実現への大きな一歩となります。執行部はじめ関係者のご努力に心から敬意を表するとともに、支持者の皆さまには、深いご理解と、引き続いてのご支援を、ここに改めてお願い申し上げる次第です。

2014-09-12 08.29.11

両院議員総会で党名を決した直後、結いの党の江田憲司代表から「ようやく一緒になったね」とお声掛けがあり、「あの日以来ですね」と応じました。「あの日」とは、衆議院の第二議員会館にある江田憲司事務所を訪れ、当時の江田みんなの党幹事長に離党の意志を伝えた2012年の9月7日、ちょうど今から二年前に当たります。

思い起こせば、二十年余り経済産業省に勤務し、東日本大震災を機に辞職、地元大阪の「大阪維新の会」の下に馳せ参じたのが三年半前の統一地方選挙、地元の維新府議候補を全力で支援しました。そして、地域政党「大阪維新の会」との連携・合流を前提にみんなの党に入党したのが2011年の9月8日、ちょうど三年前です。そして、2012年8月20日の橋下・渡辺会談が決裂し、約束していた合流の破談を受けて江田幹事長と袂を分かったのが二年前の9月7日だったのです。(翌9月8日に離党届を提出

当時、支持者の皆さまにお配りした手紙の末尾には

新しい 政治築かん 入党と
  離党のその日に 決意変わらず

としたためました。そして、それから丸二年、西の改革グループである維新の会と東の改革グループ結いの党が、ようやく一つの旗の下に団結できる見通しとなったのです。感無量です。結いの党の江田代表も、2012年8月20日の橋下・渡辺会談決裂を「真夏の夜の悪夢」と表現されていますが、今日の決定をもって、この悪夢からようやく目覚めることができたのです。

橋下代表がいつも仰いますが、いまの日本は、東西や左右で相争っているほど余裕のある状況にはありません。東京だけで日本を支えることはできない、だからこそ安倍政権も「地方創生」を唱えているんでしょうし、海洋権益の拡大にひた走る中国を前に、左右でイデオロギー闘争している場合でもありません。

左右に大きくウィングを拡げた二大政党、自民と維新。日本の何を保守し何を改革するのか、その構想力と実現力をもって真摯に競い合い切磋琢磨する、そういう新しい政治新しい日本を築いてまいりたいと存じます。