北摂・茨木のふるさとに戻ってきて半年、北摂の豊かな里山の空気を吸う度に、「ああ、帰ってきて本当によかった」と実感いたします。大学時代を過ごした京都には、言うまでもなく山に囲まれた風土と歴史に培われた伝統文化がありましたが、中央省庁に就職して上京して以来、20年近く東京に住んでいて一番違和感を持っていたのは、「生活の中に山がない」ということでした。

富士山は本当に綺麗な山で、富士見云々という地名が無数にある通り、関東平野の多くの場所から富士山を望むことができます。しかし、東京の人々にとって、それは決して「生活の場」ではありません。大阪の北摂で育った私にとって、遠くから愛でるだけの山しか存在しない東京での生活は、その初日から、なんとも落ち着かない、違和感のあるものでした。その理由に気付いたのはずっと後になってからでしたが、やはり、生活の場である里山こそが、私にとっての「山」なのでしょう。

大阪は、南西方面の大阪湾を除いてほとんどの方角が山に囲まれています。もちろん大阪平野は盆地ではありませんが、大阪府北部の北摂山地をはじめとして東部の生駒山地、大和川をまたいで南の金剛山地、そして和泉山地と、ずっと山々が連なり、日常の生活をしていても、周りを眺めて、山が見えないことの方が稀ではないでしょうか。他方、東京には、遠くに眺めるただ一つの山・富士山を除いて山は見えません。

北摂の地を歩きながら、そうしたことを考えていたところ、9月8日に「見山の郷」の十周年を記念する収穫祭に、翌9日には「大岩太鼓」の保存会設立二十五周年記念のお祝いの会に参加させていただき、茨木の豊かな里山を守り育んでおられる皆さまに、改めてご挨拶させていただくことができました。日本の経済と社会の激しい変動に翻弄されながらも、こうして農村での生活を守り育み、伝統を再興してこられたご努力はいかばかりであったかと、改めて思いをいたした次第です。

「見山の郷」交流施設組合の理事長としてご尽力されてきた才脇芳喜さんのご長男・直樹さんが茨木高校の同級生であったこともあり、銭原には何度か伺っておりましたが、収穫祭には母と連れ立って参加させていただき、秋の実りを満喫させていただきました。

また、「大岩太鼓」保存会の峯義昭会長の、地域の歴史を継承し次代に伝えんとする情熱に接し、通産省入省後に最初に取り組んだ法律(伝産法、お祭り法)に込めた当時の思いをしばし回想しておりました。

なお、私事ですが、私の先祖(ルーツ)は、大阪ではなく兵庫と京都にあります。父は兵庫・但馬の養父出身で、曽祖父・足立峯吉は養父村長を務めていました。また、母は京都・丹波の綾部出身で、高祖父・安兵衛は園部町長を務めていたそうです。私が北摂の山に感じる、この愛着のようなものは、単に北摂に育ったということだけに拠るのではなく、そうした先祖から脈々と受け継がれてきたDNAのようなものが、もしかしたらあるのかもしれません。

行政に携わっている人間は、得てして市町村や都道府県(政治であれば選挙区)の境界線に足を取られてしまいがちですが、それよりもずっと広がりや深みのある地域の風土や伝統といったものを、私たちはしっかりと学び、そして継承し、その上で、手段としての「行政」という乗り物を上手に運転し使いこなしていく必要があります。私自身、大阪と兵庫・京都とのちょうど接点にある北摂の地で、自らのルーツを感じながら、地域経済を活性化させ皆さまの生活をお守りできるよう、力を尽くしてまいりたいと存じます。