28日夜、枚方市で開催された地域政党「大阪維新の会」全体会議において、橋下代表が国政政党「大阪維新の会」を立ち上げる方針を打ち出した。大阪から生まれた政党が、3年続いた「仮の姿」を脱ぎ捨て「本当の姿」を現す、それを第1ステージ最後の仕事と位置付けた代表の采配は見事と言うしかない。

「日本維新の会」であれ「維新の党」であれ、当時の自民党や民主党、みんなの党の現職を集めて結党した、いわば「暫定政党」だった。当選一回ばかりでは永田町では軽く見られるため、元閣僚や官房副長官経験者を迎え入れた。大阪維新という<素足>が、既存政党の<下駄>を履いてここまで進んできた。

ところが永田町の赤絨毯の上ばかりを歩いているうちに、当初誓ったはずの維新スピリッツを忘れ去り、その<下駄>たちがあらぬ方向に歩き始めたものだから、そうした古い<下駄>を脱ぎ捨てて<素足>で歩く(=大阪維新の会という原点に立ち戻る)決意を固めた、これが今回の顛末だと私は思っている。

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27日衆院本会議前に開催された両院懇で松野代表は、橋下最高顧問のメールを読み上げただけで報告を終えた。柿沢幹事長の責任には一切触れずにだ。おそらく松野代表は、橋下さんのメールを「助け舟」と勘違いしたのだろうが、最高顧問と顧問が離党するというのだから、どう見ても「最後通牒」だった。

続く代議士会での柿沢幹事長の挨拶は、何の反省もなく、安保法制に係る独自案を提出しながら民主や共産等と共闘するという、まったく意味不明なものだった。私から松野代表の岩手入りと柿沢幹事長の山形入りは安保法制に係る与党協議の道を塞ぐものだと指摘したが、問題ない、反省しない、の一点張り。

今国会の最大の焦点は言うまでもなく安保法制であり、橋下最高顧問による「最後通牒」は、安保法制について維新の党が与党協議に臨むための「最後の挑戦」でもあった。結局、松野代表や柿沢幹事長は、維新スピリッツを忘れ去り、審議拒否だけの「万年野党」路線「反自民」路線の誘惑に負けたのである。

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昨夜の私たち国会議員との会合で橋下代表は、大阪ダブル選挙の後ではなくて、その前に国政政党「大阪維新の会」を立ち上げる方針を示した。国政政党の基盤は地方政治にあり、その基礎は支持者である市井の人々であることを熟知しているからだ。大阪ダブル選は、国政政党「大阪維新の会」の初陣となる。

国政政党の名前に冠することになる「大阪」という二文字、「大阪維新」という四文字、「大阪維新の会」という六文字は、特定の地域や特定のイデオロギーを指示すものでは最早ない。橋下徹とともに立ち上がった同志が、「維新スピリッツ」溢れる人々が、歴史に刻んだ不動の原点、それが「大阪維新」だ。

大都市大阪で新しい政治運動が生まれたのは「歴史の必然」かもしれない。東京一極集中の煽りを最も受けた大阪、経済が停滞し社会が疲弊する大阪、それでも東京をバックアップし日本の二極となる責任を負い続けている大阪。非常識と揶揄されても、国政政党が「大阪維新」を冠する意義は限りなく大きい。