1.繰り返される「勧善懲悪」のお芝居

維新の党は、先日22日の党大会で企業団体献金の禁止を決めるとともに、昨日27日に、企業団体献金を禁止する政治資金規正法改正案を衆院に提出しました。

時を同じくして国会では、いわゆる「政治とカネ」で衆院予算委員会が紛糾し、閣僚はじめ国会議員の恥ずかしい姿を国民の皆様に晒すこととなってしまいました。

国会の様子を紹介すると、あたかも追及する野党は“善”、政府与党は“悪”といった、いわゆる「勧善懲悪」のお芝居のようですが、ことはそう単純ではありません。

政府与党を得意気に追及している民主党も、政権の座にあった際には外国人献金問題で自民党の厳しい追及を受けたし、維新の党も、単純な“企業団体献金=悪”という立場から企業団体献金の禁止に踏み切ったわけではありません。

2.“企業団体献金=悪”という単純化

“企業団体献金=悪”という立場の方々がよく引用するのが、「見返りを求めれば賄賂であり、見返りを求めなければ背任行為」というフリードマンが打ち立てたテーゼです。

一見、分かりやすいテーゼですが、フリードマンが企業の社会的貢献活動を全否定していた事実を忘れてはなりません。「見返りを求めない」献金が背任行為というのであれば、企業の社会的貢献活動もすべて背任行為となりかねないからです。

私は、その思想に学ぶところ大、とフリードマンを愛読してきた一人ですが、これだけ複雑な経済社会において、企業の社会的貢献活動を全否定するのは、現実的でないし、適当でもない、そう考えています。

3.“啓発された自己利益”に基づく企業献金は否定しない

そうした現代社会において、企業の職務的責任と社会的責任とを結びつける概念が、トクヴィルのいう、いわゆる“啓発された自己利益”“見識のある自己利益”“Enlighten Self-Interests”という考え方です。

社会は企業の存在基盤であって、社会が安定し活力があってこそ、企業もその活動を全うできる、という考え方です。こうした認識の下では、一定の社会的貢献が企業の利益に結び付き得るし、企業団体献金は政治の安定化装置として機能していくわけです。

日本の最高裁判決も、企業献金について、「合理的な範囲を越えて不相応な寄附を行うことは忠実義務に違反する」としつつ、「客観的,抽象的に観察して,会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては,会社の定款所定の目的の範囲内の行為である」と判示している通りです。

4.まず“啓発された政治責任”を果たしていく

冒頭、維新の党は、先日22日の党大会で企業団体献金の禁止を決めたと紹介しましたが、私たちが昨年12月の総選挙で「身を切る改革」を訴え、矢継ぎ早に実行に移しているのは、こうした“企業団体献金=悪”、更には“政治資金=悪”といったナイーブな立場からではありません。

むしろ、政治家としての職務を全うするためには一定の政治資金が必要なのは確かです。いわゆる、安倍総理もよく言及される「民主主義のコスト」論です。

しかし、今の政治は国民の皆様に消費税10%、すなわち一割ものご負担を、更なる増税を、お願いしているのです。国民の皆様にご負担をお願いするに際しては、まずその前に、徹底した歳出削減に取り組むのが当然ではないでしょうか。

そうした歳出削減を広く関係者に受諾いただくためには、行政に携わる公務員には(全うな官民給与比較を通じた)人件費カットが求められるだろうし、そうした行政改革を断行していく政治家には、公務員に倍する「身を切る覚悟」が求められる、至極当然の道理ではないでしょうか。

企業団体に対して、“啓発された自己利益”に基づく献金を求める前に、国民の皆様に更なる増税をお願いする前に、政治家自身が“啓発された政治責任”“Enlighten Responsibilities of politicians”を果たしていく、これが維新の「身を切る改革」の本旨である、私はそう考えています。