1.大同団結の必要性

参議院選挙が終わった。選挙結果をここで繰り返すつもりはないが、今回の参院選に係る最大の反省点は、日本維新の会とみんなの党との選挙協力が相成らなかったことだ。その原因や責任の所在については後段に譲るが、一人区あるいは二人区が多い参院選において、政策理念を同じくする複数の政党が互いに潰し合うというのは、支持者の期待を裏切ることであり、何としても避けるべきことだった。

昨年末の衆院選に向けても、多くの同志が維新とみんなの党との連携・協力に向けて努力したが、昨年秋のトップ会談が決裂するなど両党の力を結集するには至らなかった。その結果、それぞれが東西の地域政党の性格を乗り越えることができず、小選挙区における選挙結果に着目すれば、日本維新の会の当選者は大阪以西に限定され、みんなの党の当選者は関東に限定される結果に終わった。

衆院選から半年強で迎えた今回の参院選に当っては、こうした選挙戦略上の失敗を二度と繰り返すまい、と関係者が力を尽くしたが、最後の最後に、橋下共同代表の発言を巡る混乱の中で渡辺代表が反旗を翻し、まったく同じ失敗を繰り返すことになってしまった。私の地元大阪でも、私の選挙で支援者の一人として助力してくれたはずの人物がみんなの党本部の意向に従い立候補し、同党の地方議員の反発を招くに至っている。

次期衆院選までに、両党の連携・協力に向けた揺るぎない基盤を構築できなければ、三たび支持者の期待を裏切ることになり兼ねない。橋下徹共同代表が「次期衆院選に向かって(野党が)話し合いをして、一つの勢力にまとまらないと、国のためにならない」と指摘し、江田憲司幹事長が「野党の再編は必至であり、政治理念や基本政策を軸に政界再編を主導していく」と表明しているのは至極真っ当なことと思われる。

 

2.維新の会とみんなの党の違い

では、なぜ二度も同じ失敗を繰り返したのか。私は、昨年8月20日に開催され、そして決裂した、橋下代表・松井幹事長と渡辺代表とのトップ会談の直後に、「みんなの党と大阪維新の会とのトップ会談が膠着している理由」と題して、両党の性格の違いを次のように指摘したことがある。

「政策/政局に関する原理主義度の違いが、いわゆるケミストリーの違いとして影を落としている」「みんなの党は、政策については原理主義的(=教条主義的)であるが政局については現実主義的(=急進的ではない)、一方の大阪維新の会は(勝手に論評する立場にないが)反対に、政策については現実主義的であるが、政局については急進主義的だ。」

この私の指摘については、モジログさんが次のように咀嚼してまとめて下さっている。図表を含めて再掲するので、一読いただきたい。

「みんなの党は、「政策」については原理主義的(=教条主義的)。つまり、良く言えば信念がしっかりしているが、悪く言えば柔軟性がないので、「この方針に従えない者は出て行け」式になりやすいわけだ。しかし「政局」については現実的で、あまり欲張らずに、着実に支持をひろげていこう、という「ゆっくりペース」である。」

「いっぽう大阪維新の会は、「政策」については現実主義的。良く言えば、状況を見ながら変える柔軟性を持つが(原発再稼動をめぐる方針変更がいい例)、悪く言えば、日和見主義にもなりやすい。しかし「政局」については急進主義的で、次の総選挙で一気に政権に食い込もうとするような意向が見える。」

 

3.次第に埋まりつつある溝

以上のような当時の整理について、私は、今でも基本的に変わっていない、と考えている。その上で、昨年12月の総選挙を経て150日にわたって国会で活動させていただいた自身の経験に即して言えば、これら両党間の相違点を乗り越えることは十分に可能であると指摘したい。

つまり、私が書いた「政策/政局に関する原理主義度の違い」、すなわち両党のケミストリーの違いは、時の経過と関係者の努力によって、次第に埋まってきているのではないだろうか。原理主義というのは、一般に、“信念に固執する傾向”をいうが、いずれの政治グループも結成から3年以上の時が経過し、その間、政治マーケットで揉まれに揉まれ、一定の経験を積みつつある。合流に向けた土壌は整いつつある、と言えるのではないだろうか。

「政局」について言えば、日本維新の会も、当初の衆院選で200人規模の議員を輩出して一気に政権取りを狙う、といった急進主義的なスタンスは現実的に取りえなくなっているし、実際に実現もしていない。一方で、改革政党が5年も10年もの時を浪費するほど、日本の改革に猶予が残されていないのも事実であり、のんびりしている訳にもいかない。

また、「政策」についても、大きな相違点を探す方が難しい。今回の選挙において、我々日本維新の会は、1)既得権を打破する規制改革と競争政策の重視、2)社会保障の抜本改革を通じた現役支援、3)地方分権などの統治機構改革、という3つを公約の柱に据えて有権者に信を問うたが、みんなの党も、1)既得権3兄弟という既得権に切り込んだ大胆な規制改革、2)歳入庁導入を通じた社会保障の抜本改革、3)3ゲン(権限・財源・人間)の移譲と地域主権型道州制を打ち出している。

 

4.乗り越えるべき私怨の深刻さ

これだけ価値観(=日本の将来への危機感と政策の優先順位)が同じ政党同士が、どうして、相手を怨敵のように毛嫌いして、相争う必要があるのか。野党政治家の最大の使命は、政権与党とは異なる「もう一つの道」を国民に選択肢として提示することである。私怨を乗り越えて大同団結し、大きな選択肢を実現可能な形で国民に提示していくことは、野党政治家の責務であると信ずる次第である。

もちろん、支持者の間に拡がる怨念の深刻さも理解している。昨日の報道(「維新との連携困難=「政策・理念整理を」―みんな代表」(時事通信))を受けて、私が「渡辺代表の指摘は概ね正しい。困難な道だが維新の国会議員内で統一を急ぎたい。まずは原子力から。」とツイートしたところ、維新の支持者の一部から、違和感を指摘するツイートを山ほどいただいた。

例えば、

渡辺代表を賞賛するような書き込みはやめてほしいです。我々大阪系の支持者の渡辺代表に対するアレルギーは凄まじいものがありますので。

外交に何の責任のない橋下さんの発言を基に地方自治はじめ重要な政策の協調を反古にした。そして彼はマスコミ側についた。マスコミに叩かれると逃げ出しちゃうやつとは一緒に戦えない。

維新は詐欺と仰った、渡辺さんですよ。

渡辺氏は中小政党の党首として、連携の可能性を自ら断つかの様な発言が多い。その一方で、アジェンダと齟齬する様な行動、例えば公務員と切れない民主党と連携するなど、最近特に異様な言動が目立っている

衆議院選挙の二の舞にならぬ様に進めていた選挙協力を反故にしたのは渡辺氏

渡辺代表が、維新への攻撃を利用して、維新との連携に前向きな江田幹事長の力を削ごうとしているのは明らかですよね。「誰がやるかではなく、何をやるか」が聞いて呆れます。

といったところだ。なかなか辛辣であり、渡辺代表へのアレルギーの強さ、大きさを改めて認識することとなった。

 

5.両党の責任の果たし方

私が賛同した渡辺代表の発言には、更に後段があるらしいことが後で判明した。渡辺代表は、維新の政策理念についての整理を求めるのみならず、橋下共同代表が大阪市長のまま党首を続けていることについても言及し、「国を変えるためには大阪市役所からでは限界がある。国会議員として責任ある立場から発言をしないと、再編話は先に進まない」とも指摘したという。

私は、渡辺代表の指摘の前段、すなわち「維新は改革勢力か復古勢力か分からない。他党に再編を持ち掛ける前に、憲法観、原発続行か否か、消費増税に賛成か凍結か、歴史認識など整理すべき問題がある」との指摘には、同意するところ大だが、後段の市長兼務に関する無理解には、心から辟易してしまう。

そもそも昨年秋に渡辺代表が大阪維新の会に関心を寄せたのは、みんなの党という中央の政党だけでなく、大阪維新の会という力のある地域政党との連携・協力が、統治機構を地方分権型に作りかえる上でどうしても必要なことだったからではなかったのか。だからこそ、渡辺代表は自らのブレーンを紹介するなど一貫して大阪維新の会に対する支援を惜しまなかったはずである。

みんなの党、そして渡辺代表は、そうした事の経緯に改めて思いを致し、地域の首長が党幹部を兼務するという地域政党から生まれた国政政党の枠組みの意義を理解し、十分に尊重するべきである。地域主権を唱えながら地域政党や地方政治家を蔑ろにする姿勢をとるのであれば、みんなの党は早晩その正統性を失い消滅していくこととなるだろう。

もちろん、日本維新の会の側も、党の政策を更に分かりやすく有権者に伝え、政権与党とは異なる「もう一つの道」を国民に選択肢として提示していく努力が求められる。渡辺代表に指摘されるまでもなく、憲法観や歴史認識、更には原子力政策など党内でも亀裂の存在が暗黙の了解となっているような分野については、殴り合いの議論を経てでも一定の方針をまとめていく必要があり、党所属の国会議員として力を尽くしていく所存である。