1.待機児童対策に必要な政治の“覚悟”

「保育園落ちた日本死ね」匿名ブログをきっかけに待機児童の解消を求める声が高まっている。折しも安倍政権が「一億層活躍」を訴えている時期と重なり、答弁や関連する野次を巡る報道が過熱したが、今こそ大事なのは、冷静かつ適切な、短期(=緊急)対策と中長期の制度論を深め、実行することだと思う。

ところが国会の現状は心もとない。自民党の保育議連が一昨日、加藤担当大臣に提出した「緊急決議文」を読んでも財源確保を求めているだけで正直中身は薄いし、当の山尾議員も昨日首都圏の親たちから“待機児童解消を急ぐあまり保育の質が軽視されることがないよう”陳情を受け、答弁に窮していたようだ。

なぜ国会の待機児童解消に向けた政策論議は、掛け声ばかりで中身が深まらないのか。ずっと言われてきたのに、なぜ今も待機児童は無くならないのか。私は、自民党も民主党も、既存政党は皆、業界や保育士団体からの圧力やしがらみが多すぎて、本当の意味で利用者の目線に立っていないからだと感じている。

親の声として紹介されているのは、「どこでもいいから預けられればいいというわけではない」「質も考えた上で入りたい人は誰でも入れる環境にしてほしい」、つまり量も質もという“欲張り”な内容だが、それに応えるには、ただただ利用者のために、子供たちのために政策を決していく“覚悟”が不可欠だ。

 

2.まず正すべきは国と地方の役割分担

そもそも山尾議員が問題を取り上げた際、彼女は待機児童の数をどの程度と見積もっていたのか。経産省の先輩でもある石川和男氏は、4万人超と言われている待機児童は氷山の一角、実態はその数十倍の100万人から300万人に及ぶと試算している。私が待機児童対策には“覚悟”が必要という所以である。

そうした「潜在的待機児童」にもしっかり目配せし、本当の意味で利用者のため、子供たちのための政策として、おおさか維新の会は、先般の緊急対策に続き、「保育政策の改革ビジョン-地方分権、規制緩和、無償化-」と題する本格的な制度改革ビジョンを安倍総理、塩崎厚労相、加藤担当相らに提出した。

副題に「地方分権」を掲げ、ビジョンの一丁目に「認可保育所設置基準に関する地方分権」を打ち出したのは、そもそも待機児童対策が総理大臣の主要な仕事だと位置付けること自体への違和感からだ。総理は外交安保やマクロ経済運営に注力すべきで、待機児童は本来、自治体が解決すべき際たるテーマのはず。

大阪市の吉村市長も「権限と財源を地方にくれたら、僕ら地方がやります。一国の総理には、外交、防衛、マクロ経済等国でしかできないことに専念できる環境を。国と地方の役割分担。」とツイートしている通り。保育士要件を地域の実情に応じ多様化し、都心部では地代等を支援する、速やかに措置すべきだ。

 

3.業界のためでなく親子のために

維新の「保育政策の改革ビジョン」では、地方分権に併せて保育士要件の多様化を打ち出している。国家試験保育士にこだわらず、一定の研修を受けた保育サポーターを配置する。保育士にこだわる論者は、それが子どもの安全に不可欠というが、保育園に入ることのできた子どもの安全しか考えていない証拠だ。

彼らの論は正社員制度に胡坐をかく労働組合や民主党の論理構造と瓜二つ。インナーだけの幸福を追求する勝者の論理なのだ。私たちは、そうではなく、施設補助を利用者への保育バウチャーに切り替え、すべての親子に何らかの保育サービスを享受いただく、それが業界のためでなく親子のための政策なのだ。

ちょうどこれを書いているところに、民主党や共産党が共同で提出する保育士の処遇改善法案の概要が飛び込んできた。びっくりした、というか、予想通りというか、彼ら彼女らの政策は、保育士の処遇改善のみ。結局、仕組み自体を改善する気もない、能力もない。組合が要望する処遇改善を法案化しただけ。

おおさか維新は今夕の両院議員総会で、幼児期の教育から高等教育に至るまで教育の無償化を柱の一つとする「憲法改正草案」を決定した。政権交代といった政治変動を越えて、党の綱領に示した機会均等=経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない旨明確にし、貧困の連鎖を断ち切っていく決意である。