1.柿沢氏の恥ずかしい暴言

維新の党の前幹事長である柿沢氏が今回の分党騒動に関連して「離党する人たちが自分たちで行動を起こしながら党名を返せ、カネを渡せとかはあり得ない。われわれの側に何かお譲りする大義は見当たらない」と豪語しているらしい。既に解任された身なのだから静かにしていればいいのに。情けないことだ。

維新の党は、首相公選制の導入を基本政策に掲げている。だからこそ、橋下・江田の両代表の顔を前面に押し出し総選挙を戦ったのだ。その創業者である橋下元代表と江田元代表が袂を分かったのだから、支持者・有権者からすれば、せいぜい議員数に応じて分党するのが最低のラインと考えるのが普通だろう。

2.路線を違えたのは松野維新

私たちは、9月末に安保国会が閉幕するまでは現在の枠組みを大事にし、それが故に内閣不信任案にも(個人の心情を超えて)賛成したが、柿沢幹事長(当時)の留任とともに橋下最高顧問の離党を了とした松野執行部は、その時点で維新の路線を大きく踏み外していた。路線の違いは誰の目にも明らかだった。

党の憲法でもある綱領には「政治理念や基本政策の一致を前提に、改革勢力を結集し、政権担当可能な一大勢力の形成を目指す」と明記している。松野執行部や初鹿議員はじめ元民主党議員は、この規定を錦の御旗に、民主との合流や共産との連携に正統性あり、とうそぶいているが、民共のどこが改革なのか。

それに民主党のように(2009年総選挙のキャッチコピーである「政権交代。」の通り、)政権交代した後にピリオドを打ってしまったら元も子もない。私たちは(大阪での橋下改革をモデルに)「政権担当」できる勢力を結集したい。だからこそ綱領にも「政権交代」ではなく「政権担当」と明記したのだ。

松野執行部は昨日の執行役員会で、私たちが開催を求めていた臨時党大会について、執行役員会の承認なくして開催できないように党大会規則を改正した。今井幹事長は「当たり前のことを文章に書いただけだ」と否定しているが、臨時党大会で分党を決定されたら大変だからと機先を制したのは明らかである。

柿沢氏は「離党する人たちが自分たちで行動を起こしながら党名を返せ、カネを渡せとかはあり得ない。われわれの側に何かお譲りする大義は見当たらない」と豪語するが、綱領(=路線)を違えたのは柿沢氏であり松野執行部だった。臨時党大会を封じ込め、執行役員らで国会に籠城して一体何をしたいのか。

3.地域に基盤なくして国政なし

政治の基礎は、どこまでいっても国民にある。国民主権だから当たり前だが、永田町に長く居ると分からなくなるらしい。政治の基盤は、永田町にではなく地域にあるのだ。だからこそ、私たちは、地方政治を基盤とし、大阪維新の会を基礎として国政に進出した。そして今、大阪ダブル選挙に臨んでいるのだ。

二十年以上続いた「反自民」政権樹立への挑戦は、民主党政権の失敗でピリオドにすべきなのだ。それに代わる新しい政治運動は、単なる「反自民」の野合ではなく地域に基盤をもつ改革勢力の結集でなければならない。維新の党が大阪維新の会の運動を支えるのは、当に自分たちのためでもあったはずなのだ。

ところが柿沢氏を含む松野執行部は、5月の住民投票否決をもって維新の新しい政治は終わったと見切ってしまった。「反自民」の誘惑に負け、天下分け目の大戦=大阪ダブル選挙を目前に古い政治運動に舵を戻してしまった。私が民主党のみならず維新の松野執行部を「55年体制」の亡霊と揶揄する所以だ。

ここまで書いて、馬場前国対委員長ら3人の同志が除籍された、との報道NHK産経)が飛び込んできた。そんな決定は永田町というコップの中の儚い夢のようまものであり、地域・支持者に基盤を持たない。私たちは、大阪で臨時党大会を開催し、全国の支持者の皆様とともに、橋下改革を全国に拡大していく決意である。