衆議院の品位を傷つけたのは誰か - 民主主義を破壊する郷原公述人と民主党 -
1.はじめに
一昨日の衆院予算委中央公聴会における郷原公述人に対する私の発言について、昨日25日の予算委理事会で取り上げられ、竹下亘衆院予算委員長が郷原氏に謝罪するという。(報道ぶり)もちろん、その原因を作ったのは私であり、質疑直後に続いて昨日午後、竹下委員長及び金田与党筆頭を往訪し、謝罪申し上げた。
もちろん、郷原公述人に対しても、質疑直後に真っ先に駆け寄り非礼を詫びたところであるが、本件に関する報道が「脊髄反射」しているだけとしか思えない浅薄なものしか見受けられないので、一昨日の中央公聴会で私がなぜあのような質疑を行ったのか、当事者として一言、弁明をしておきたい。
2.二種類のツイート
昨日の私の質疑を受けて、ネット上には二種類のツイートが駆け巡っている。
ひとつは、
甘利ワイロ事件について公述人として意見を述べた郷原弁護士を、おおさか維新のろくでもない議員が誹謗中傷。こんなのは衆議院規則第245条により即刻除名しろ。
に象徴される、私の発言を非難し、私を除名するよう衆議院に求めるものである。ちなみに、ここで紹介されている衆議院規則には、
第二百四十五条 議院の秩序をみだし又は議院の品位を傷つけ、その情状が特に重い者に対しては、議院は、これを除名することができる。
と規定されている。
一方、関連するいツイートの中には、
彼いわく、一方の意見に偏った郷原氏だけを呼ぶことは衆議院規則に反してるとのこと。
と、私の弁明を紹介しているものもある。
昨日の予算委第二分科会で「一方の意見に偏った郷原氏だけを呼ぶことは衆議院規則に反してる」と私が述べたというのは事実であり、そこで私が紹介した衆議院規則は、第七章(委員会)第三節(公聴会)の次のような規定である。
第八十一条第二項 予め申し出た者の中に、その案件に対して、賛成者及び反対者があるときは、一方にかたよらないように公述人を選ばなければならない。
第八十三条 公述人の発言は、その意見を聴こうとする案件の範囲を超えてはならない。
3.衆議院の品位を傷つけたのは誰か
賢明な読者の皆様は既にお気づきと思うが、衆議院規則に違反したのは、賛否がある案件(=甘利UR口利き疑惑)について「一方に偏った意見を持つ公述人」(=郷原公述人)を推薦した民主党であり、その推薦を受けて、「案件(=来年度予算案)の範囲を超えて」発言した郷原公述人だということである。
もちろん、郷原公述人に対する私の質問が品位を欠いたとすれば誠に申し訳ないし既に関係者に陳謝いたしたところであるが、私は今でも「議院の秩序をみだし又は議院の(真の意味での)品位を傷つけ」たのは、私ではなく、エセ野党筆頭の山井理事はじめ民主党の諸氏であると思っている。
郷原公述人が案件(=来年度予算案)の「範囲を超えて」発言した時点で委員長が制止すればよかったのかもしれないが、それを理事会派でもない私が言っても詮無いし、そもそも郷原公述人が「法律の専門家」として、いわゆる「外形的公正性」を装っているのは極めて悪質なので、それを質した次第である。
「外形的公正性」とは、今回のケースでは、予算を審議するための公聴会が、主権者である国民の目から見て(外形的)、一方に偏った意見を持つ公述人であるとの疑念を生じさせることがない(公正性)という意味であるが、甘利UR口利き疑惑に係る郷原公述人の意見は、偏頗で極めて恣意的なものあった。
例えば、郷原公述人は中央公聴会で、(甘利前大臣を議員辞職に追い込みたい)民主党と示し合わせ、当該事案を「絵に描いたようなあっせん利得」「ど真ん中のストライク」と指摘するとともに、あろうことか「検察が捜査を躊躇する理由はない」と、立法府を悪用して捜査当局に圧力を加えたのである。
繰り返しになるが、「その案件に対して、賛成者及び反対者があるときは、一方にかたよらないように公述人を選ばなければならない」(衆議院規則81条2項)し、 公述人の発言は「案件(=予算案)の範囲を超えてはならない」(同83条)。衆議院規則に違反する暴挙を看過できるわけがないのである。
4.何が問題か
一昨日の中央公聴会は、来年度予算案に関する多様な意見を聴取し、国会議員の判断に資することを目的として開催されている。だからこそ「賛成者及び反対者があるときは、一方にかたよらないように公述人を選ばなければならない」し、公述人の発言は「案件(=予算案)の範囲を超えてはならない」のだ。
判断するのは政治家たる国会議員であって、公述人に判断したり断罪したりすることは全く期待されていない。ましてや公聴会という場を使って捜査当局に圧力を加えるなど言語道断、絶対に認められない。公述人は多様な意見をバランスよく紹介するのが任務であり、だからこそ複数の公述人を招聘している。
加えて私が郷原公述人に違和感を覚えるのは、その言い回しだ。かつて郷原氏が橋下前代表をブログで批判した際にも同じだったが、大阪ダブル選挙の際に民主党の要請を受け維新の松井一郎知事の対抗馬として出馬を検討したことをひた隠しにし、「法律家」「弁護士」等と繰り返し公正さを装っているからだ。
この世界で、民主主義を維持していく上で、最も非難されるべきは、本当は政治的存在である者が、中立性や公正性を装って、主権者たる国民を欺くことだ。今回のケースでは、予算と関係ない事項に係る陳述を認めた委員会にも問題はあろうが、一番の罪は、中立性を装った郷原公述人と推薦した民主党である。
5.国会が国民の負託に応えるために
私がこうした不正に(過剰と言えるくらい)敏感に反応するのは、昨年の安保国会の反省があるからだ。安保法制の合憲性を巡って紛糾し、まともな議論が全く出来なかった。維新は対案を提出したが、民主党はじめ野党5党が国会外のデモ等と連携し、プラカードを掲げ暴力を振るい、国会審議を台無しにした。
そのきっかけとなったのが、昨年6月4日の衆院憲法審査会での憲法学者の意見だった。招致された3参考人の全員が「憲法違反」との見解を示した。これを機に野党とマスコミが騒いだわけだが、当該審査会で明らかになったことは、安保法案の違憲性ではなく、参考人の選定が間違っていたということだけだ。
国権の最高機関である国会で決すべき結論を、その7割が自衛隊を違憲だと主張する「憲法学者」が決定したり、ましてや公共の電波を占有している「放送局」が誘導したりすることは、絶対にあってはならない。国権の最高機関である「国会(議員)」こそ主権者たる国民の負託を受けた唯一の立法機関なのである。