武力攻撃の明白な危険と国の存立に係る明白な危険は別物 - 結いの見解は百害あって一利なし ―
1.集団的自衛権に関する摺り合わせ進まず
「日本維新の会」は今月末をもって正式に分党し、8月1日をもって橋下グループは引き続き「日本維新の会」として、石原グループは「次世代の党」として新しい歩みを開始する。そして、その翌々日の3日には、日本維新の会の橋下代表と結いの党の江田代表が基本政策について調印し、新党準備会の作業が本格化する予定である。
本来は、合流のための協議を7月中に終えて、結いも合流した上で新党を立ち上げること(いわゆる「一段ロケット」)が当然であり、橋下・石原両共同代表による、いわゆる名古屋合意から間もない6月10日の両院議員懇談会の場でも、その旨について明示的に執行部に要請してきた。
しかし、どちらの執行部に問題があるのか分からないが、一段ロケットは早々に断念され二段ロケットとなることが確定、焦点の集団的自衛権に関する見解の摺り合わせも、ほとんど進んでいない。基本政策合意については「集団的自衛権の検討を含む「自衛権」行使の範囲の適正化」という、分かったような、分からないような、曖昧な表現で凌ごうとしている。
2.結いの党の見解は百害あって一利なし
焦点の集団的自衛権の扱いについては、橋下徹代表からも江田憲司代表に対し丁寧にメッセージを送り続け、双方が合流するに当たって必要となる「共通理解」を構築しようと務めてきているが、江田代表のブログを拝見すると、連日、「共通理解」ではなく「持論」を展開され、そのPRに余念がないように見える。
例えば、18日のブログでは、
「これまでの「個別的自衛権」の政府解釈が必要以上に狭められていた、それを「国際標準」に合わせ「適性化」しようというのが結いの党の見解で、それで昨今の安全保障上の要請にはすべて対応できる」
昨日22日のブログでも、
「国際社会の理解と比較して、日本政府は、「集団的自衛権」概念をより広く、「個別的自衛権」概念をより狭く解釈してきたわけだ。その解釈を国際標準に合わせて適正化しようというのが結いの党の見解だ。そうすれば今回の閣議決定も「個別的自衛権」の範囲におさまる、従来の憲法解釈との齟齬もなくなる」
私は、冒頭の見出し(副題)に「結いの党の見解は百害あって一利なし」と書いたが、「一利なし」は言い過ぎで、江田代表の主張に、個別や集団といった自衛権の定義というものを「相対化」するという意義は認めることができる。しかしながら、それは「相対化」であって、ご自身が妥当(=国際標準?)だと思う定義を「絶対化」したのでは、結局、「一利なし」に陥ってしまう、と言わざるをえないい。
江田代表の仰ることを整理すると、
1.日本国民及び日本政府がこれまで理解してきた「個別的自衛権」の範囲は(国際標準から見れば)狭すぎた
2.その範囲を国際標準に合わせて拡張すれば、「昨今の安全保障上の要請にはすべて対応できる」
3.新しい憲法解釈と「従来の憲法解釈との齟齬もなくなり」、いわゆる「ルビコン川」を渡る必要もない
となる。
しかし、これから国会で、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえつつ国防政策の在り方を議論しようとするときに、こうした「概念変更」や「概念操作」を行ってしまえば、政府が取り上げる個別事例はすべて(江田代表の言うところの)「個別的自衛権」となり、閣議決定の意味もなければ、国会審議の必要もない、何も必要ない、ということになってしまう。
実際、結いの党は、6月24日付の「政府提出の15事例に関する見解」において、15事例は「すべてが「個別自衛権」あるいは「警察権」の範囲内で認められるというのが我が党の結論である」と、ノーズロで容認する姿勢を表明している。こんな稚拙な概念変更を通じて、国会での議論を無意味化することに、どういう積極的な意味があるのか。分かる人がいたらぜひ教えていただきたいものだ。
3.武力攻撃の明白な危険と国の存立に係る明白な危険は別物
では、今回の閣議決定は何を決めたのか。与党が依拠している、いわゆる72年見解を再掲するまでもなく、政府はこれまで、憲法第9条の下で例外的に認められる自衛のための武力の行使は
「わが国に対する武力攻撃が発生した(あるいは発生する明白な危険がある)場合」
に限るとしてきた。これに対し、今回の閣議決定は、そうした認識を改め、
「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」
にも武力の行使が可能としたのだ。
江田代表の指摘を敷衍すれば、「武力攻撃の明白な危険」と「国の存立等に係る明白な危険」は「同じ」だということになるが、それだったら、安倍政権は、単なる名前のために、これだけの労を費やしてきたとでもいうのだろうか。実際に、国民の生命、自由および幸福追求の権利に係る重要な政策変更がなされようとしているにもかかわらず、である。これから実際に、日米ガイドラインの見直しがあり、自衛隊法等個別法の改正が続いていくのだ。
その拡張された部分を(江田代表が国際標準だと主張する)個別的自衛権と呼ぼうが(安倍政権が閣議決定したように)集団的自衛権と呼ぼうが、国民的議論よりも閣議決定が先行し、集団的自衛権の限定容認について世界に対して既に表明しているてしまっている今、そんなラベリングにどんな積極的な意味があるというのだろうか。言うまでもなく、「武力攻撃の明白な危険」と「国の存立に係る明白な危険」は別物であり、その差分を議論することが必要なのだ。
4.政府与党は3分の2の賛成を目指せ
国会審議で大事なことは、我が国を取り巻く安全保障環境の変化をどう認識し評価するか、そして、その変化に対応し、防衛政策を具体的に規定している日米ガイドラインと個別法をどう見直すのか、その中身である。
日本維新の会は、公約でも表明してきた通り、集団的自衛権をタブー視せず、我が国が直面している課題に正面から向き合い、言うべきは言う、やるべきはやる、そうした覚悟ある政治を目指してきた。集団的自衛権については、安倍政権の基本方針を支持する一方、国民へ説明責任を果たしていない点を厳しく批判してきた。
個別法案の審議にあたっては、必要な2分の1の賛成ではまったく足りない。今の国会における2分の1は、自民党と公明党が密室で談合できることを意味し、政府案がそのまま通過する蓋然性が高い。憲法の解釈に係る立法であれば、政府与党には3分の2の賛成を目指すくらいの丁寧な国会運営が求められる。