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あだち康史
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衆議院議員
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衆議院議員4期、大阪9区支部長。日本維新の会憲法改正調査会長、国会議員団政務調査会長、幹事長代理、コロナ対策本部事務局長等を歴任。1965年大阪生まれ。茨木高校、京都大学、コロンビア大院。水球で国体インターハイ出場。20年余り経産省に勤務し欧州に駐在。東日本大震災を機に政治を志す。
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あだち康史のコラム column

“大阪都構想”が必要な3つの理由 ―大阪都構想の先にある「多様で活力ある分権型国家」―

足立 康史

昨日30日、民主、自民、公明、みんな、国民新、国民の生活が第一・きづな、改革無所属の会の与野党7会派が「大都市地域における特別区の設置に関する法案」、いわゆる大都市(大阪都構想)法案を衆院に共同提出した。本日31日にも衆院総務委員会で審議入りし、今国会開会中にも成立する見通しだ。

本件に係る国会との調整は、昨年11月の大阪ダブル選挙で示された大阪の民意を受けて、12月に行われた橋下大阪市長・松井大阪府知事とみんなの党渡辺代表・江田幹事長と対談を皮切りに精力的に進められてきた。そして今般、延長後とは言え通常国会会期中の成立が確実となったことは、本当に喜ばしく、関係者のご努力に敬意を表したい。

但し、松井知事が「本当に大阪都にできるかどうか、気を緩めることなくやっていきたい」とコメントされたように、関連法案の改正や地方側の大都市制度協議会での審議など膨大な作業が今後も続いていく。大切なことは、法案に込められた大阪維新の会の初志をどこまでも大切にし、その本質を制度に化体させていくことだ。

私は、みんなの党支部長として大阪に住み、大阪維新の会の地元支部の皆さんと行動をともにし、大都市法案の成立見通しを心から歓迎する立場から、自身の霞が関での勤務経験も交えながら、今後の大都市制度のあるべき姿に関する私見をまとめておきたい。

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日本の今後の大都市制度には、1)多様性、2)効率性、3)主体性という3つの視点が不可欠である。第一の「多様性」とは、地域の経済・社会の実態に即した仕組みを柔軟に導入できる制度にすべきという考え方だ。例えば、大阪、名古屋、更には新潟等では、その都市の成り立ちも現在の産業構造もまったく異なる。地域の実情に即した多様な都市経営とそれを支える大都市制度が求められている。

第二の視点は、「効率性」を重視し、地域の活力を最大限活かすということだ。広域自治体であれ基礎自治体であれ、大都市制度には、その機能・役割に即した適正規模がある。そして、言うまでもなく、交通インフラのイノベーション等を通じてその適正規模は歴史とともに変化する。その変化に応じて適正規模を追求し、大都市の効率性を実現していくことが必要となる。

最後の「主体性」とは、上記2つの視点を踏まえた上で、住民がその都市の仕組みを自ら主体的に設計するということだ。地域主権と表現されることもあるが、要すれば、国が制度の細かいところまで決めるのではなく、地域の主体性を最大限尊重することだ。

1.都市の多様性

「多様性」を大都市制度が踏まえるべき視点の第一に挙げた背景には、私の歴史認識がある。戦後の高度成長期を支えた中央集権=全国画一型の都市政策は、1980年代半ばまでは一定の成果を挙げたが、その後20年以上にわたって現在に至るまで、政策の画一的な適用には厳しい評価が下されてきた。一刻も早く日本の都市政策に「多様性」の視点を盛りこまなくては、大都市政策における停滞が今後も続いてしまう。

1980年代半ばまでは一定の成果を挙げたと書いたが、私が自らの学業や職務を通じて関わることとなった事案の中で特に象徴的な例は、1983年に高度技術工業集積地域開発促進法として実現したテクノポリス(Technopolis)構想だ。私は、1984年に大学進学し都市・地域計画学を専攻、大学院を経て当時の通商産業省に入省したが、そうした自身のキャリア形成の初期に念頭にあったのは、いつもテクノポリス構想であった。

テクノポリスとは、当時の通産省が建設省等と連携して、先端技術産業を中核とした産・学・住が一体となった街づくりを促進しようとした国策であり、高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)に基づき全国26の地域が指定され、一定の成果を挙げたと評価されている。私の同窓の仲間たちは、皆、当時の建設省あるいは運輸省に入っていったが、私はこうした産業立地を促進するソフトな手法の重要性が今後も増していくと考え、同期で一人、当時の通産省に入り、自身の職業キャリアを開始したのである。

しかし、その後の20年、経産省の産業立地促進法制は、迷走を繰り返すこととなる。いったん入省すると配属される部署について本人の希望が叶えられることはなく、私自身、結局、立地政策を担当することは終ぞなかったが、省内の仲間が担当する産業立地の促進に係る法律群は、横で見ていて、忸怩たる、無理の多いスキームを採用し続けた。

テクノポリス法の後に導入された産業立地の促進に係る法律の主なものを時系列で並べると、リゾート法(1987)、頭脳立地法(1988)、地方拠点都市法(1992)、地域産業集積活性化法(1997)、中心市街地活性化法(1998)などがある。いずれも、投入したリソースに見合うような成果に結びつかず、むしろ、リゾート法に代表されるように、負の遺産を各地に生み出す結果となった。

そして、その後の霞が関は、累次の全国総合開発計画(全総)が謳い上げてきた「国土の均衡ある発展」というテーゼを放棄し、東京という首都の発展をなんとか維持する、つまり東京防衛に汲々とするようになる。

以上のような産業立地促進法制の歴史を間近に見続けていく中で、私は、国の経済発展のために必要な公共政策は、1)為替や金融といったマクロ経済政策と2)産業立地政策に代表されるミクロ政策に大きく仕分けをして、前者は国が、後者は一貫してブロック=道州が担い、地域固有の歴史や産業構造を踏まえた多様な大都市経営を可能としていく必要があると考えるに至ったのである。

2.都市の効率性

今後の大都市制度が踏まえるべき視点の第二は「効率性」だ。私が大都市の効率性に関心を持つようになった最初の契機は、経済産業省で自らが担当した「総合的人材ニーズ調査」だった。1999年年6月に産業構造転換・雇用対策本部で決定された「緊急雇用対策」に基づき、地域において雇用増の見込まれる分野とそこで必要とされる人材を把握するために実施した調査だが、3大都市通勤圏(東京都心6区通勤圏域、大阪通勤圏域、名古屋通勤圏域)、54の中核通勤圏域(圏域内就業人口が20万人以上の通勤圏域)、50の中小通勤圏域(圏域内就業人口が20万人未満の通勤圏域)からなる合計107に及ぶ通勤圏域ごとの分析を行った。

例えば、大阪通勤圏域を見ると、大阪府域を完全にのみ込み、兵庫県、京都府、奈良県、更には三重県、和歌山県の一部までカバーする巨大な通勤圏域を形成し、まさに「グレーター大阪」と呼ぶべき経済実態にあることを見せつけられた。

ところが当時の労働行政は、いわゆる地方事務官制度が存続しており、2000年に同制度が廃止された後も、当時の労働省の地方出先機関であった労働基準局と職業安定主務課を都道府県労働局として存続させ、旧態依然とした行政の枠組みを維持したまま現在に至っている。2004年以降は、「若者自立・挑戦プラン」の一貫として「ジョブカフェ」の設置を推進し、民間ノウハウの導入に努めたが、それでも、通勤圏域の実態に即した職業安定行政を実現するには至らなかった。

こうした行政経験を通じ、私は、地域の実状や強みを活かした労働市場を三大都市圏で実現していくためには、究極的には、都道府県の枠組みを超えた道州のような広域行政体を実現する以外にないと考えるようになった。都市の効率性を実現する王道は、行政主体自体を経済実態に即した規模で実現することだからだ。

3.都市の主体性

以上、大都市制度のあり方を考える際に重要となる2つの視点、すなわち「都市の多様性」と「都市の効率性」について、私自身の行政経験に即して紹介してきた。しかし、実際に、それらの視点をしっかり踏まえた大都市制度を実現することは容易ではない。

例えば、先に言及した全国総合開発計画(全総)は、1998年の第5次計画に至って、根拠法が国土総合開発法から国土形成計画法へと名称変更されるとともに、全国総合開発計画(全総)という言葉が廃止され、計画の副題には「地域の自立の促進」等が掲げられている。しかし、言葉が踊るばかりで、実際の大都市制度の転換にはまったく至っていない。

また、いわゆる「地域主権」を標榜している現在の政府与党民主党についても、16回に及ぶ地域主権戦略会議を開催してきているにも関わらず、「出先機関の事務・権限のブロック単位での移譲」の検討さえ、遅々として進んでいないのが現状である。

こうした厳しい状況を踏まえると、今後の大都市制度は、地方政府に高い主体性を付与し、地方政府部内の事務の分配や財源配分及び財政調整を地方政府が自ら主体的に決定できるようにすることが不可欠だ。これによって、はじめて広域行政と基礎自治体を一から作り直すことが可能となるからである。

昨年12月20日にみんなの党の渡辺喜美代表が橋下徹大阪市長及び松井一郎大阪府知事に手交した地方自治法改正要綱案において、事務の分配や財源配分・財政調整の仕組みを地方政府が自ら決定できることとしているのは、こうした認識からだった。他方、民主党や自民党が当初検討していた法案には、事務の分配や財源配分・財政調整の仕組みを地方政府が自ら決定するという眼目の部分が抜け落ちていた。

大阪都構想によって真の意味での地域主権を実現していくためには、何としても、事務の分配や財源配分・財政調整の仕組みを地方政府が自ら決定できるとする内容を盛り込むことが必要であり、民主党や自民党との調整に最後まで手間取った論点もこの点についてだった。最終的には、与野党7会派による大都市(大阪都構想)法案共同提出となったことは大変喜ばしいことであるが、引き続き緊張感をもって法案の成立を期し、大阪都の実現に力を尽くしていく必要がある。

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大阪維新の会が推進する大阪都構想は、大阪という一都市の大都市構想であったが、そこで導き出された以上の3つの視点(多様性、効率性、主体性)はすべての大都市に共通するものであり、大阪都構想が大阪のみを対象とした特別法でなく一般法として結実した所以もそこにある。

また、こうした考え方を更に敷衍していけば、それが大きな国家ビジョンに繋がっていくことも必然であり、大阪の新しい政治運動が「多様で活力ある分権型国家」の構築に向けた大きなうねりとなって、国の政治と経済・社会をリードしていくことを願って止まない。

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