災後5年でハッキリした既存政党の無責任 - 再稼働へ滋賀と京都の地元同意を法定せよ -
1.国民の思考停止を許さない地裁判決
今日は、東日本大震災が発災して5年、つまり、私が政治を志してちょうど5年でもあり、天皇皇后両陛下の御臨席のもと催される追悼式に参列する予定です。20年余りに及ぶ経済産業省での勤務に終止符を打ち、まさに大阪で始まった統治機構改革に一身を投じる決意をした日、それが3月11日でした。
5周年を前に一昨日9日、号外ニュースが飛び込んできました。関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを滋賀県の住民が求めた仮処分申請で大津地裁が運転を認めない決定を下したのです。この判決の評価については意見の分かれるところですが、思考停止を認めないという点で私は評価したいと思います。
このままでは、福島第一原発事故というシビア・アクシデントから何も学ばず、その教訓を活かすこともせず、漫然と時間が過ぎゆくのを許していく、そんな国になってしまいます。それでは、亡くなられた方々を弔うことも、被災者を見舞い励ますことも、次世代に国を託すことも、できるはずがありません。
2.原発事故の教訓から目背ける既存政党
私には、福島第一原発事故に関連してどうしても成し遂げたいことが二つあります。第一は、国、電力会社、立地地域、電力消費地といった関係者の原発再稼働に係る権限と責任を法定することです。避難計画、賠償責任、最終処分、そして地元同意、どれをとっても政府の取組は中途半端と言わざる得ません。
私たち大阪維新の会の国会議員団は、そうした国などの責任を明らかにし法定するため、昨年の国会に5本の法律からなる「原発再稼働責任法案」を上程しました。安倍政権を支える与党には一顧だにされることもなく審議未了で廃案となりましたが、その法律案に託した考え方は引き続き堅持していく所存です。
例えば、今回の地裁判決の舞台となった滋賀県を、私たちは高浜原発の再稼働に係る同意権者として法定しています。具体的には、関西電力が高浜原発を再稼働するに際しては、福井県のみならず滋賀県および京都府の知事の同意が不可欠であり、市町村と関西広域連合の意見を聞くことも法律に定めたのです。
自公政権よりも更にたちが悪いのは民主党です。民主党は、政権の座にあった2011年夏に制定した原子力損害賠償支援機構法に「原発事故の収束等に係る国の関与及び責任の在り方」を検討し措置を講ずると明記したにもかかわらず、政権から離れると放ったらかし、勉強している様子も全くありません。
ちなみに、私たちが「原発再稼働責任法案」を立案し国会に上程した時は未だ「維新の党」の時代でしたが、(民主党と合流する)偽新の党の議員は一人も法案提出者に名を連ねていません。彼らは、「身を切る改革」もそうですが、やるやる詐欺ばかりで、真面目に政策を練り上げる姿勢など微塵もないのです。
3.東日本大震災の「災後」との付き合い方
どうしても成し遂げたいことが二つある、そう書いた二つ目は、深刻なテーマで、なかなか理解を得られないかもしれませんが、放射能への国民の向き合い方の改革です。私は、ひとり被災者だけでなく、広く日本国民の全員が、東日本大震災の「災後」と正面から向き合わなければならない、そう考えています。
政府ははっきり言いませんが、5年前の福島第一原発事故で放出された大量のセシウム137は、事故以前には(原子力施設以外の)自然界に全く存在しなかった人工物ですが、事故によって大量に放出されたセシウム137の大半は、産廃、土砂、そして中古車等の有価物として全国に流通しているのです。
いわゆる指定廃棄物は、kg当たり8千ベクレル以上と定義されているので、逆に言えば、それを下回る無価物、有価物は、何の規制もなく全国に流通している、それが厳然とした現実なのです。私は、決して不安を煽りたいのではなく、すべての国民は「災後」に真摯に向き合い、乗り越えていくべきなのです。