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あだち康史
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衆議院議員
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衆議院議員4期、大阪9区支部長。日本維新の会憲法改正調査会長、国会議員団政務調査会長、幹事長代理、コロナ対策本部事務局長等を歴任。1965年大阪生まれ。茨木高校、京都大学、コロンビア大院。水球で国体インターハイ出場。20年余り経産省に勤務し欧州に駐在。東日本大震災を機に政治を志す。
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議事録 Transcripts

2014年4月18日 衆議院 厚生労働委員会 法案審議 難病の患者に対する医療等に関する法律案について

足立 康史

186-衆-厚生労働委員会-13号 平成26年04月18日

○後藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。足立康史君。

○足立委員 日本維新の会の足立康史でございます。
 維新の質問時間に珍しく民主党の先生が二人いらっしゃるということで、ありがたく存じます。
 足立が出てくると、またあの非営利何とかというテーマかということですけれども、きょうは法案審議ですので、しっかり難病法案について質問をさせていただきます。
 何日も法案に関する審議を続けていただいておりますが、私は難病については初めて時間をいただきました。もともと私は医師でもありませんので、難病については、正直、最初、ハードルがあるというか、なかなか、やはり病名も、ふだん私は聞きなれないものが多うございますし、同僚の医師の議員等に中心にやっていただきたいということで控えておったんですが、いろいろ質疑を聞いていまして、失礼ながら、これは改めて大事だなと思いまして、私も三十分だけいただいて、重複するところもあるんですが、幾つか確認をさせていただきたいと思います。
 民主党さんとめったに意見は合わないんですが、難病対策については、ところどころちょっと違和感、例えば財源の問題とかいろいろ大臣もおっしゃっているところについては、うんっと思うところもありますが、ただ、御主張の多くは、非常にそうだなと思う部分が多くて、多分、あまたある政策の中で、この難病だけだと思いますけれども。
 加えて、先ほど結いの党の井坂委員も非常に大事なポイントを質疑されまして、私、感銘をいたしまして、井坂議員とはいろいろな会でも御一緒させていただいていまして、できれば将来一緒にと思っていますので、またよろしくお願いします。
 大臣、私がなぜ民主党の方々とこの点については意見が比較的合うかなと思うかというと、やはり難病というのは誰でもなるかもしれない、要は原因がわからないわけですから、あした私が、あるAという難病、Bという難病にかかるかもしれない、わからないわけですね。原因がわからないから、わからない。
 こういうテーマというのは、私も一年強、厚生労働委員会で仕事をさせていただいていますが、いわゆる厚生行政というか、こういう行政の分野の中でも最も、公益性という言葉がちょっとよくわからないんですけれども、税金を投入する合理性というか、そういう合理性が高い分野だと思っていまして、その一点で、やはりそうだなと思う部分が多分多かったと思うんです。
 大臣、この点、要は難病対策は、原因が不明、それから治療方法が確立されていない、そういったことを踏まえると、大臣が所管されているさまざまな政策分野の中でも、税金を投入するというか、あるいは公益性が高いというか、そういう政策の必要性、これが最も強く、説得力があるというか、合理的に説明できる分野だと思いますが、改めて大臣の難病対策についての御認識をお伺いできればと思います。

○田村国務大臣 原因がわからない、そして治療法が確立されていないわけでありますので、希少性があるかないかではいろいろと御議論が分かれるところもありますけれども、基本的には、非常に治療が困難、それを研究開発していかないと、しかも、希少疾患の一つには、なぜ希少というのが入っているかというと、これは研究開発もなかなかやってもらえないですよね。
 なぜかというと、製薬会社が薬をつくろうと思っても、インセンティブが余り働かないというのがある。そういう意味では、希少疾患に対して、いろいろな難病という範囲の中において支援をしていくというのは、そういう部分も実はあるわけであります。こういうところには税金を使っていくということで、医療保険以外に医療費助成をする。
 ただ、それだけじゃありません。自立支援医療という分野も同じような分野。そして、境目があって不公平じゃないかというお叱りをいただく分野には、ほかにも、肝炎もそうであります。いろいろな分野があります、そういう分野では。
 それを全て、全員、どこまでというので、いつも財源やいろいろなものとの間で我々も苦しんでおるわけでございまして、そういう意味では、難病だけという話じゃありません。あまたそのような分野がこの厚生労働の分野ではあるというふうに認識いたしております。

○足立委員 大臣はあまたとおっしゃいますが、あまたある行政分野の中でも、ここだけだとは言いません、特に税金を投入するに値する、合理的な説明ができる、そういう分野の一つであると、私は質疑をお聞きする中で改めてそういう思いを深めているわけであります。
 なぜ、私が、難病は特にと申し上げるかというと、大臣が、きょう、いろいろな質疑の中で、ほかの制度とのバランスということをおっしゃいました。ちょっとこれは通告していないと思いますが、例えば自己負担を入れていることについては、さっきのいろいろな質疑でも、この分野は、あるグループの方については、やはり自己負担がきついんじゃないかという議論がずっとあります。
 特に、ちょっと通告ベースにもう一回話を戻すと、ある学者の方が、難病患者の医療負担については生涯ベースで考えるべきだ、こういう指摘をされています。
 経済産業研究所というところに所属をされている方ですが、その方は経済学者ですから、いわゆる論理、ロジックで考えると、この難病という分野は、もともと、必ずしも大きな対象があるわけではない、かつ、誰でも難病になる可能性が否定されない、かつ、その負担は、例えば平均在院日数なんかで見ると三カ月とかいろいろな数字がありますが、難病の方は、もし治療の方法が見つからなければ一生その負担をしていくわけですね。その生涯ベースの負担ということを考えるとやはり自己負担は重いんじゃないか、こういう指摘をされている方がいらっしゃいます。
 私は、経済学者というのは、必ずしも、どうかと思うこともありますが、いわゆるロジックで突き詰めるという意味では、非常に傾聴に値する意見だと思います。この意見について、これは局長でも結構です、よろしくお願いします。

○佐藤政府参考人 お答えをいたします。
 御質問の中にありましたように、難病は、根治療法がない、発症、発病のメカニズムが明らかでない、そして、希少な疾病、長期の療養を必要とするものということが要件になっております。この長期の療養ということと根治療法がない等々を総合的に勘案すると、やはり医療費の負担も大きいだろうというふうに想定をしているわけでございます。
 今御紹介のありました経済学者の御発表の中でも、通常の疾病の患者さんと同じ基準で負担の水準を議論することには極めて慎重な態度で、生涯を通じて医療費がかかるんだという生涯ベースで考える必要があるんだ、こういう御指摘をいただいているんだろうと思います。
 そういうこともありまして、今回の難病法案を議論するに当たりましても、他の制度、医療費の助成制度等々と比較をするというプロセスを踏んでまいりました。
 まず、通常の疾病でありますと、保険制度の中で高額療養費制度があり、また、高額療養費制度の中には、一年のうちに何回も何回も高額が続くようだったら多数該当という制度がありますし、同一の御世帯の中に同じように高額療養費を持っていらっしゃる方だったら世帯合算がある。こういうことで、自己負担の額が、通常の疾病であっても一定の額以上にならないようにということで設定をされているわけでございます。
 ですから、今般の難病対策における負担それから上限を考えていく上でも、こういった一般の疾病の高額な場合の仕組み、そして、その過程では、高齢者の高額療養費というのを参考にして、一旦は難病対策委員会でも御提示があり、公表もし、御意見を頂戴するというプロセスであったわけです。
 その過程で、高齢者の高額療養費ということでは相当に負担が大きい、それから低所得者についてはどうなんだ、それから、これまでるる御議論があっておりますけれども、ALSで気管切開をして人工呼吸器を使っているような方、そういう方についての自己負担というのはどうなんだ、これまで無料であったというような、そういった経緯や実態を十分踏まえるべきだと。こういうことがありましたので、今般のような形で、所得区分とそれから病状の程度、長期かどうかというようなことも総合的に勘案した上限の設定というものをさせていただいたということで、話をもとに戻しますが、難病患者の医療費負担を生涯ベースで考えるべきという思想的な部分は、十分に盛り込まれているのではないかというふうに考えます。

○足立委員 この自己負担の問題は、るる、何度も各委員の方から指摘もありましたので、もうこれ以上繰り返しませんし、また、生涯ベースという考え方について、私の方から改めて指摘を申し上げ、今、佐藤局長の方から、踏まえているつもりだという御答弁がありました。
 私は、高齢者の高額療養費制度も勘案しながらという御答弁がありましたが、厚生労働省としては当然精緻に議論を尽くしてこられた結果だと思いますが、先ほども関係の委員と昼に話をしていまして、近い将来、この自己負担のところについてはやはり改めて検討を深めたい、こういう思いを共有していたところであります。
 もう一つ、きょう私が、素人ならではと言うとちょっと変な言い方ですが、きょう何度も出ています希少性の話ですね。これは、ぜひもう一度、私の立場から大臣あるいは佐藤局長にお聞きをしたいと思っていることがあります。
 これは大臣には通告していません。大臣にはぜひ一つ通告外でちょっと御答弁いただけたらと思うんですが、虹がありますね、虹が。これは何色ですか。例えば小学校のとき、クレヨンで虹を描くとき、大体何色で描いていたか、描いていないかな。

○田村国務大臣 厳密に言えば、どれをどの色だというふうに言うのか、濃淡はあるんでしょうけれども、普通は七色という話でございますよね。

○足立委員 まさに私も、小学生のとき、余り虹は描かなかったんですけれども、周りで描いている子たちは七色が多かったです。日本は七色で、それは学校教育で七色になっている、なっていたか、なっているかだそうで、学校教育の影響が非常に大きい、こう物の本には書いてあります。
 グローバルに言うと、ヨーロッパではもともと五だったんですって。それを、ニュートンが、五より七の方が縁起がいいというか、いい数字だということで、二つ加えて七色ということで整理をしていった歴史がある。一方で、もっとアフリカとかいろいろ見ると、アフリカのある国では、小学生がクレヨンで描くと三色なんだそうです。
 当然、科学的には、これは無限にあるわけですね。どこかに線があるわけではないわけです。
 私がなぜ虹の話をしたか、もうおわかりだと思いますが、私は、まさに委員の先生方の質疑を聞いていて、いまだに、ずっと何日も聞く側に回って聞いていましたけれども、大臣の御答弁、副大臣の御答弁、局長の御答弁を伺っていても結局わからなかったのは、誰がそれを決めているんですか、その概念、病名というのを。
 言語学という学問がありますね。言語学の世界で、認知するというのは、認知があって名前があるんじゃないんです、名前がつくから認知できるんですね。だから、言語学の世界では、名前がつく前は、とにかくのっぺらとしているんです。でも、これは赤だ、これは黒だ、これは人間だ、これは机だという、名前がつくから机だと認知する。だから、認知と名前というのは、認知が先なんじゃなくて名前が先なんだという議論は、非常にポピュラーな議論なんです。佐藤局長、言っていることはおわかりいただけますね。
 難病の定義には、原因がわからないとかいろいろなことが書いてある。難病の定義、第一条に書いてあるその定義にもかかわらず、なぜ病名が一意に決まるんですか、局長。

○佐藤政府参考人 お答えをいたします。
 なかなか難しい御質問をいただいたように思います。
 おっしゃるとおりでございまして、長い長い医学、医療の歴史を見てみますと、病名をつける、そして、そのつけた病名が、AさんがA大学病院で言っている病名と、BさんがB大学病院で言っている病名が一緒なのか、また、日本で何とか病という、山本病とか田中病とかいう名前がついたときに、それがヨーロッパで言う何々病と一緒なのかどうかということは、歴史的には常に検討されて、見直されたり、意見の交換があったりしたわけです。
 最近になりますと、やはり病名というものは統一しなければいけないということで、例えば、高血圧の基準などもそうですし、糖尿病の基準などもそうですし、人種差というものはあるものの、世界的にもこの病名というのは通用するのかどうなのか、世界では何と言っているのかというのを常に学者さんたちが考えながらやっているということが言えると思います。
 一般論で言うと、やはり近年は、そうした形で、国際学会ないしは今はインターネットだとか、もちろん、最近話題になっておりますランセットだとか、ネイチャーだとか、あるいはセルだとか、そういった雑誌に載る過程で、病名というもの、あるいは病態の概念というものについても一定の合意が得られていく、そういう形になっています。
 では、難病の場合はどうかといいますと、もともと、昭和四十七年にスタートして以来、研究班の大きな作業の一つは疾患の概念をはっきりさせること、言いかえれば、疾患がどういうものであり、病名が妥当であるか。そして、もうちょっと言いますと、疾患の基準が妥当であるかということを御検討いただき、日本全国でと申しますか、日本全体を通じてコンセンサスの得られる病名であるかどうかということに心を砕いてきたと思われます。
 したがいまして、きょうはお見えになっていませんけれども、河野正美先生の御質問の中にもありましたけれども、医学部やあるいは国家試験の出題の際にも、厚生労働省の研究班の決めた基準に合致しているかどうかとか、この病名がついたときにこの診断基準というのが合致しているのかどうかとか、どういう診断基準が加わればこの病気と判断していいのかどうかというのが、ある意味、国家試験や医学教育の中での重要な一つの柱であったというふうに見ていいと思います。
 そういう意味では、御質問に正確に答えていないかもしれませんけれども、難病の研究班というのは、繰り返しになりますが、疾患概念をはっきりさせ、疾患概念に合うような診断基準をつくっていくという作業が、この何十年もに及ぶ研究の中のポイントだったと思います。そうやって疾患基準を決めることによって、では、A先生の言うこの患者さんとB先生の言うこの患者さんは一緒だなということでデータが集まる。集まったデータをもとに、では、こういう治療基準でどうだろうかとか、あるいは、もう少し細かく見てみると違う疾患を同じものと理解していたんじゃないか、こういう議論が深まっていく、こういう経緯だったと思います。
 したがいまして、まとめて申しますと、実際に病気を診断する難治性疾患克服研究事業の中の先生方、もちろん、その外側におられる学会、そして、さらには海外の先生方、こうした方との間の意見の集約によって今は比較的ユニバーサルな形で疾患名がついていっている、こういうふうに理解をしております。

○足立委員 今、一般の疾病と難病と、ちょっと分けて解説いただいたと思うんですが、一般の疾病はグローバルなコミュニティーがそれなりにある。でも、難病もある、どっちですか。

○佐藤政府参考人 これも一般論でお答えしますと、高血圧だとか、糖尿病だとか、がんだとかいうことになりますと、人種差はあるものの、ある程度、学者の数も多うございますし、患者さんの数も多うございますので、コンセンサスは比較的得られやすくなっているんじゃないかと思います。
 それに対しまして、これまでの議論の中でもありましたが、難病というものに、こういう形で患者のデータベースをつくり、さらに医療費助成をし、さらには、社会環境あるいは就労支援まで含めて総合的に対応している制度というのは、余り多くはないようでございます。
 どちらかというと諸外国は、基本的にはオーファンドラッグ、すなわち、希少性疾患に対する医薬品、医療機器の開発の促進を進めるという程度にとどまっておりますので、こういう疾患概念でやりましょうとか、全く同じシステムで疾患概念の決め方をやっているかどうかは、ちょっと私も存じ上げません。恐らくは、オーファンドラッグなんかの議論をするときに、私どもも参考にするし、そういう中で疾患の名前というのはある程度決まっていくものだろうと思います。

○足立委員 今おっしゃったのは、どちらかというと難病対策が、日本はこういう形をとっているけれども、当然、諸外国ではそもそもそういうたてつけではないというお話ですけれども、さっき私が申し上げた名前と認知というもっともっとベースのところで言うと、難病の概念というのは、グローバルに、リファーというか、相互にコミュニティーがあるのか。例えば難病の名前も、検索すると、大体英語名も出てきますよね。そういう意味では、それはグローバルに収れんした概念だと考えていいんですか。

○佐藤政府参考人 我が国で、今般の新法の中で今回整理しました難病の定義に近いもの、要件に近いもの、それから医療費助成の対象となる要件、これと世界とを比較しますと、違うところもたくさんあるだろうと思います。
 ただ、個々の疾患について見ますと、今般、とりわけ医療費助成として認めていこうとしているものについては、疾患の概念がはっきりしていて、疾患の基準ないしは診断基準に準ずるようなものがあるものということで、ある程度最初は限定していこうというふうに考えますから、そういった疾患については、言うまでもありませんけれども、本邦においては診断基準も疾患の概念も決まっております。そうしたものは、ほとんどのものがヨーロッパやアメリカでもそういう疾患概念として認知されているものばかりだというふうに理解をしております。

○足立委員 きっとそうだろうなというか、先ほども局長がおっしゃったように、インターネットもあり、こういう時代ですから、情報はすぐに共有される、学会もいろいろ、先生方は頻繁に、海外、学会にも参加をされて情報をシェアされている、私はそういう実態に当然あると思うんですね。
 すると、特に今回の法案が福祉的側面のみならず研究開発の側面もあるとすれば、そこの研究コミュニティーでの活動が大事なので、例えば希少性といえども、本邦においてという国内の患者数だけでカウントしていること自体が、そもそも非常に論理的にどうなんだろう、こう思うわけですけれども、これは、世界の研究コミュニティーの中でどれぐらいそれが、日本がそうやって助成してデータを集めなければならないような状況にあるのか、そういう詰めというか、これはどうなっているんですか。

○佐藤政府参考人 お答えをいたします。
 正直申し上げまして、私も、最近国外で難病というもの、本邦で言うところの難病に相当する疾患をヨーロッパ諸国やアメリカの諸国、政府はもちろんのこと、学会、それからコミュニティー、医療機関、そういったところが、どの程度の認識で、我々と同じような思い、哲学で取り組んでおられるのかというのは承知はしませんけれども、私どもが報告を受けているところないしは文献等で見る限りは、基本的には彼らは、政策的にはオーファンドラッグという視点で、企業の努力を促すという仕組みですし、あとは基本的にはアカデミアの世界にお任せをしているというところではないかと思います。
 ただ、我が国においては、昭和四十七年以来、独特の発想である、希少な疾患で、こういう言い方をしていいかどうかわかりませんけれども、必ずしも光が十分当たりにくいような疾患について、患者さんを集めて、しかも、今何度かお答えもいたしましたけれども、きちんとした診断基準に基づいた疾患概念に基づいて集めたデータを分析することによって、我が国でも、我が国初の新しい治験とか、ひいては治療法などが開発できるのではないかという視点で努力をしているというのがこれまでの経過だと思います。

○足立委員 大臣、私がきょう改めて指摘申し上げているのを御理解いただけると思いますけれども、やはり研究ということでいうと、グローバルな研究コミュニティーが当然あるわけですから、日本がその視点で政策を講じることの費用対効果、そういう議論は本当は必ずあって、むしろ、グローバルな研究をもし促進するのであれば、当該疾病に関する、まあ難病ですね、当該疾病に関するグローバルな研究動向というか、そういうものを必ず視野に入れざるを得ない、私はそう思います。
 そう思う立場からいうと、ずっと議論があった、そもそも、研究の側面もいいけれども、福祉的側面で整理を貫徹していった方が難病対策としてはわかりやすいんじゃないかというのを、私は、今、そういう研究というのがグローバルだということを踏まえると、野党の皆さんというか、きょう質疑で幾つかあったそういう指摘に、私も賛成だなという論拠の一つになるかな、こう思っているわけであります。
 法律にも、三条において、研究体制、国際的な連携ということがうたわれています。今、もう既にお答えいただいた部分もあるかもしれませんが、簡潔で結構です、それは今どうなっているか、簡潔に現状を教えてください。

○佐藤政府参考人 お答えをいたします。
 簡潔にというお話でもありましたが、今の御質問の中で幾つかありましたので、少し答えさせていただきます。
 これまでお話をしてまいりましたように、難病というのは、遺伝的と言えるかどうかわかりませんけれども、遺伝子の異常のようなことで起こっている病気が多いのも事実でございます。そうなると、人種差というものがありますから、諸外国がどうであれ、日本でどうなのか。日本人ないしは、日本人の中でも多種多様な遺伝子があるようですから、地域性があるのかどうかとかいうようなことも含めて、きちっとデータをとっていく必要があるだろうと思います。
 そういう診断基準にのっとった、きちっとしたデータができて初めて、今度は国際的に比較ができるということになってまいりまして、日本人やアジア人に固有の難病なんじゃないかとか、あるいは逆なんじゃないかということもわかってくると思います。
 そうしたことで、今般、これまでに議論の中にもありましたように、正確なデータの収集とその分析がきちっとできることで国際的な比較もできるし、また、そういう中で、今先生の御質問にありましたように、国際連携もできていくんじゃないかと思います。

○足立委員 もう時間が参りましたので終わりますが、今申し上げたように、あるいは今、佐藤局長からあったお話を踏まえると、厚生省の研究班で疾病の特定をずっとやってこられた歴史があるわけですけれども、そのコミュニティー、厚生省の研究班のある種のグルーピングが、まさに救済されるかどうかの谷をつくったりしている現状があるので、やはり厚生省の、まさに行政の研究班の取り組みが本当に重い、名前のつけ方というのがいかに人の生活を左右しているかということに思いを持っていただいて、またこの難病対策を強化していっていただくようお願い申し上げて、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。

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